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エッセイ:白いごはんの小悪魔的誘

2022.07.04

 

 日本人のソウルフードと言えば、お米。炊きたての白いごはんは、最高級の牛肉も足元に及ばないくらい、贅沢な一品だと私は思っている。

 釜をあけた瞬間、もわっと吐き出すごはんの白い息の艶かしいこと。まるでマリリン・モンローの甘い吐息のようではないか。男性ならずともメロメロになってしまう。たまらず一口ほおばろうものなら、火傷してしまいそうだ。

 噛めば噛むほど甘みは増してゆき、口いっぱいに蜜があふれて甘い酔いに溺れてしまう。

 ごくんと飲み込んだ瞬間、

 「はあ〜・・・」。
 たまらず、ため息がもれる。

 ほんとうに美味しいものを食べると、言葉をなくす。身体中の細胞が、ほくほくと喜んでいるのを感じているだけで心地いい。
 静かに体の声に耳を傾けていると、「これはおいしいね」という返事が返ってくるような気がするのは、私だけだろうか……。

 白いごはんは、まるで小悪魔のように人を魅了する。
 あまり深入りすると、食べ過ぎてしまうからほどほどにしなければ。
 というわけで、〝玄米のち白米、ときどき五穀米〟の塩梅を守りつつ、我が家はみんな〝ごはん党〟である。大学生の息子も、朝はごはんじゃないと力が出ないと言っているし、思春期の娘でさえ、炊きたてのごはんならおかずがなくても何杯でもいける、と幸せそうに頬張っている。
 家族にとっては甚だ迷惑な話だろうが、なにがなくても「おいしい」と思うものが、我が家にとっての最高のごちそう、と勝手に思っている。
 シンプルと称して、ちょっぴり手抜き、なんてこともあったりするから大きなことは言えない。

 それにしても、〝白おむすび〟の魅惑的なことといったら……。
 ごはん茶碗なら一杯ですむところが、〝おむすび〟となるとひとつではすまないからオソロシイ。
 何を隠そう、皿の上に行儀よくならんだおむすびには、めっぽう弱い。3つや4つはぺろりである。(大きさにもよりますよ)
 ぴかぴか光った三角の山を見ると、街灯に吸い寄せられる虫のごとく、ついつい手が伸びてしまうのだ。きっと、おむすびには、何か得体の知れない力が宿っているのにちがいない。
 おむすびを握る人の手から、オーラが乗り移るのだろうか。

 おむすびと言えば、3年前に亡くなられた佐藤初女さんを思い出す。「森のイスキア」という癒しの場を主宰していた。悩みや問題を抱えた人たちが、初女さんの握ったおむすびを食べて、生きる力を取り戻していったという。噂を聞きつけた人が全国から集まってきたそうだ。

 ジブリ映画「千と千尋の神隠し」でも、おむすびに元気をもらう場面があった。ハクから差し出されたおむすびを、泣きながら頬張る千尋の姿を見て、無性におむすびが食べたくなったものだ。

 たったひとつのおむすびが、人の命を救う。
 初女さんのおむすびは、命のエネルギーに満ちていたのだろう。お米への愛情、農家の方々への愛情、天地自然への愛情が、初女さんの手によってむすばれたのかもしれない。

 どんなにいい食材やいい道具を使っても、そこに愛情がこもっていなければ、おいしい料理は生まれないと思う。

 下手でも、不器用でも、高級食材でなくてもいい。

 ていねいに、愛情を込めて作った料理は、人を笑顔にさせる。

no.1(2019年「Chinoma」コラムに掲載)